ペンギンノート

福島在住ライターのブログです。 福島から見た政策・経済などについて、リアルな感覚から書いています。

ふくしま”みち”さがし

「福島を知るためのツアー」を企画する「作戦会議」、くるまざカフェ―ふくしま”みち”さがしーに参加してきた。

 

開沼博さんのオープニングトーク。

震災からの建物などのの復興はできてきたし、除染もだいぶ進んだ5年目、何が問題なのか・何が足りないのか、が見えにくくなってきている、ということ。「みち」とは「未知」なのだ、と。

目的地について遊んでおしまい、ではなくて、目的地への道程そのものを見て、地域そのものを知って、道、「物語」を楽しむ形の観光を考える、ということ。「みち」とは「道」でもあるのだ、ということ。
専門家や国にゆだねず、地域で実際に暮らしている我々ができることを探す、ということ。

 

「物語」。
それがキーワードだな、ということを、今日は随所で感じた。

 

ワークショップでは、「森林・里山のいま」、「食の安全」、「放射線への不安を考える」、の3グループに分かれてそれぞれツアープランをディスカッション。
私は「放射線への不安を考える」グループに参加していろいろ言ったり聞いたり考えたりしたけれど、他のグループの発表を聞いても思ったのは、やっぱり「物語性」がすごく大事なんだな、ということ。

私たちが安心するのは、結果の数値じゃなくて、(それももちろん大事だけど)、たとえば放射線対策に苦労している現場の人と一緒に放射線対策をしてみるとか、除染の現場で地面を一緒に掘り返してみるとかのプロセスを、

つまりは「安全」のための道を、「物語」を、自分の肌で感じることなんだと思う。

それはたとえば今回のように、「福島を知るための(福島を伝えるための)ツアー」を皆で考えた、というプロセス、物語だって良いのだと思う。

体験の大切さって、そういう「ほんとうの安心」、それは数値への安心ももちろんだけど(というかそれは前提で)、人を信じることにあったりするんだ。と、思う。

高校生がグループに数名いて、頼もしく、うれしかった。

子供にとって、「不安」には思っていても、「自分がなんとかできる」って思っていなかったら関心はわかないと思うのだ。

「自分もなんとかできる」って思わせる、そういう希望を持たせる教育ってなんだろう、と、一応教育従事者でもあるので、そんなことを思う。

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