ペンギンノート

福島在住ライターのブログです。 福島から見た政策・経済などについて、リアルな感覚から書いています。

御嶽真田神社

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海の日に山に行った。
福島に引っ越してからはじめての夏を心待ちにしていた。
桃が大好物である。
桃農家の直売所に「桃食べ放題」の文字を見て、喜んで参戦。
今の時期は白鳳とたまきという品種で、白鳳はあっさりして水気が多く、柔らかい。たまきははっとするほど鮮やかに甘くて、少しサクッとした感触。おじさんが「豆腐で例えると白鳳は絹ごし、たまきは木綿だね」と仰っていて、本当にその通り。桃狩りは品種を変えて10月くらいまで楽しめるそうだ。

桃でお腹を満たして歩く帰り道、配偶者がふと立ち止まって小さな神社を指さした。
「あれ、六文銭じゃない?」
見ると、確かに六文銭が頂かれている。しかし大河「真田丸」で有名になった通り、六文銭自体は「三途の川を渡るための運賃」(冥銭)のことなので、イコール真田家と決まったわけではない。
おそるおそる鳥居に回ってみると、はっきりと「御嶽真田神社」と刻まれている。
にわかに興味が湧いたので、ちょうど神社の裏手を掃除していた若いご夫婦に声をかけてみた。
「真田ってあの信州の真田ですか?」
すると、真田幸村(信繁)の娘の系譜なのだ、と教えてくれた。
日本では、女性の系譜というのは辿るのが難しい。(「女」とだけ書かれている場合が多い)
ただ、幸村(信繁)の娘あぐりは、白石城主片倉小十郎(重長)の後室であるし、案外東北にゆかりがあるのかもしれない。
私が声をかけたのは現神主さんだったようで、気さくに「あがっていって」と誘ってくださり、お茶までいただきながら御嶽教の話を1時間くらいうかがった。

「おがみや」だったおばあさまのお話や御嶽教に限らず神道全般のお話もさることながら、きれいに整備された境内、磨き込まれた鳥居や社など、とても居心地よく静かな雰囲気だった。
近所では地蔵様と言われているようで、神仏が一体になってかつ土着の信仰や習慣に馴染んだ昔ながらの神社なんだなぁと心が和んだ。

寺社の廃業が全国あちこちで進んでいると聞く。
「その年代で珍しいね」と言われることは多いが、私は保育園が寺だった。園長は真言宗の僧侶だったし、園児は全員数珠を持っていたし、涅槃会とか花まつりのときには本堂に集って仏教説話を聞いたし、毎週火曜日は給食の前に園長から仏教説話を聞かされたし、毎日の給食の前には回らない舌で読経したものだ。
残念ながら仏教徒になることはその後なかったけれど、幼少期になにがしかの信仰に習慣として触れていたことは、その後ムスリムやクリスチャンと深く交流するときの助けになったし、そもそも日常的にきちんとした思考をする上で欠かせない経験になったと思う。
宗教は文明人に欠かせない教養だし、それを素直に吸い込む環境のためにも、近所に「生きている」(神主さんや住職さんや牧師さんなどと気軽に交流できる)宗教施設はもっと見直されていいんじゃないかな、と思った次第である。

しかし何事につけ総括はときとして暴力につながるので、「県民性」みたいな話は普段好きじゃないのだけれど、福島の人は人懐こいとよく感じる。
「また寄ってくださいね」とご夫婦とお母さん(?)が外まで見送ってくださる笑顔を見ながら、つくづくいいところだなぁと思う。